名作消化

なんだかんだ観たことない名作を最近じわりじわりと消化し始めてます。今日は『戦場のピアニスト』見ました。
WWⅡ、ユダヤ人、ナチスドイツと揃えば今まで触れてきた作品はいくつかあるけど、しっかりと生々しい映像で見るのは始めてだったかもしれない。
たしかに暴力シーンも血しぶきも死体も恐ろしいんだけど、一番胸に迫るような恐怖と虚無感に襲われたのは、シュピルマンがいざりながら壁の中に再び戻った時の、あのゲットーの街並みを俯瞰で写したところだった。曇り空の下にただ広がる崩れきった灰色の街と、呆然と一人立ち尽くすシュピルマンの姿が目に焼き付いて離れない。戦争と暴力が、人々の日常の生活をめっためたにして何もかも奪い去る、その構図が正にそこに集約されてたように思う。無しかない。
ドイツ軍のユダヤ人に対する暴行シーンは単に怖いというか末恐ろしい。今まで小説でしか触れたことなかったけど、映像で見ると役者のサディスティックな歪んだ笑みとか、声とかに身の毛がよだちそうになる。人間ここまで残虐になれる、負の意味での可能性を秘めてるんですね。
あとそれはもちろんそうなんだけど音楽が素晴らしかった。最後のエンディングも綺麗だったけど、やっぱりバラード第一番ト短調作品23が一番胸に迫った。戦争への怒りとか今までの絶望、苦しみ、悲愴全部ぶつけるぜって感じ。

見てよかったけど、寝る前に見るべきではなかったかな。夢に出そう。

イノセント

田母神氏の街頭演説を先日たまたま聞きました。なんだかなぁ。
そもそも街頭演説をちゃんと聞くのが始めてだったから色々とびっくりしたんですが、受験時代、自分の主張は論理的に!根拠を持って!と耳にタコができるくらいいろんな大人に言われたのにもかかわらず、実際こんなふうに世間で通用してるのはどちらかといえばかなり扇情的で非論理的な演説じゃないのなんなのよっていうのが第一の感想でした。
自分は原発再稼働には反対だから、田母神さんはどうして原発の再稼働が問題ないと言い切れるのか、その論拠に興味があったのだけど、なんてことはなく「日本人は優秀な民族だから」の一言で片付けられてしまっていた。こんなもんなのか。なんで皆これで納得できるのか。
別に右翼でも左翼でもいいけど、その1つの決断、方針が未来を大きく変える可能性があることをもっと身にしみさせて喋って欲しいと上から目線だけど思った。確かに演説は人々の感情を煽るパフォーマンス的な側面が強いのかもしれないけど、それでないがしろにされていいこととされちゃいけないことがあるし、聴いてるこっちも流されていい時と悪い時があるはずだ。特に原発なんていうこの21世紀中、そしてその先もずっと向き合っていかなきゃいけないような大きな問題の芽を、そんなよくわからない理由でテキトーに流されちゃこっちとしてはたまらない。たまらないよ。
もちろんその理由が全てだとは思ってないし(まあ一部本気で思っていそうではあるが)、パフォーマンスの一環であることも認識してるけど、そんなこと言われちゃどうしても浅はかに感じてしまう。夢見過ぎか。

傷心

久々に人から説教されて凹んでます。愛の鞭が心に痛いです。
自分はジャズを始めてまだ一年経ってないけど、それでもこの一年間なんとか形にしようと努力はしてきたつもりだった。周りもそういう人ばかりで、この方向で間違っていないのだろうと安心してた。
でも一年が経とうとしている今になって、これまでのやり方って間違ってたんじゃないかなあって思うようになっちゃいました。
ジャズは好きだけど、根っこから好きだといえるかと考えると自信がない。それは多分自分がジャズの上達に対して本質的な努力をしてないからで、匂いだけ嗅いで満足してきたようなものだったんじゃないだろうかと思う。
なんで本質的な努力を避けてきたのかという原因を考えるとそれは多分壁にぶち当たるのが怖かったから。これは多分私の根本的な性質で、やる前からできないと思って諦めてしまう、前に進むのを拒んでしまうという負け犬根性が腹の底にはびこっている。
もっと上達に貪欲に、恐怖に鈍感に、素敵な演奏ができる人になりたい、ので頑張る。

不信

人を受け入れる前に自分が受け入れられないと気がすまない幼稚なコミュニケーションをそろそろやめたい。と常々おもっているけど恐怖が先行してうまくいかない。変わりたい。

人の目を気にすることほど馬鹿らしいこともない。
というかなぜそもそも人の目を気にしてしまうんだろう。「こうしたら嫌われるんじゃないか」「こうしたら変に思われるんじゃないか」といっためちゃくちゃ幼稚な思考のもとに人の目を気にすることの動機があるんじゃないか。というかそれは実際妄想に近いはずだ。「べてるの家」では、そういった思考が頭の中に蔓延してる状態のことを「お客さんが来てる」と表現した。自分の一挙手一投足がやたらと気になって、それが他人に対して不快感を与えているのではないか、自分は変に写っているのではないか、そんな変な自分は嫌われてしまうんじゃないか、そんな思考を「お客さん」と言った。そんな思考は本来頭にあるべき思考じゃない、ただのよそ者だ。
人は思ったほど簡単には他人のことを嫌わないし、年齢が上がるに連れて一元的じゃなくてより多元的に捉えようとするようになる。彼が漫画がすきだからといってオタクだとバカにしたりはしないし、勉強が出来ないからって頭の足りない奴だと見下したりはしないし、話すのが下手だからといってコミュ障だと同情したりはしないし、ちょっと周りが見えていなくたってそういうものだと受け入れてくれる。他人に対して完全に自身を閉じない限り、敵意を向けない限り、友好的な関係を築きたいとする意志をなんらかの形で発信する限り、人はできるだけ自分を受け入れてくれようとするし、自分が足りないと感じる部分を含めただそういう人間なんだと認めてくれる。それどころかその欠点を含めて愛してくれさえする。他人に嫌われることを過度に恐れる人は他人が信用出来ない人だ。彼らがそういう能力とか見方を持ってることを信じられず、奴らは暇さえあれば自分を馬鹿にするような人間だと思っている。馬鹿にされないように無欠な態度で接するために、自分の欠点まで全部自分で補おうとして不自然なコミュニケーションを続けていくハメになる。自分の欠点はあくまでも補えないから欠点なんだ。欠けたとこがあってもとりあえず他人に自分を放り投げてみてあとは任せてみればいい。
それが一番自然な在り方なんだろうと思ったりもする。

テスト期間

早く終わらないかなぁ。
やりたいことがたくさんある。もっとバイトしてお金貯めたいし、ピアノ調律したいし、美味しいもの探しに行きたいし、ジャズ練習したいし、本読みたいし、落語聞きに行きたいし、漫画読みたいし、遊びに行きたいし、知識蓄えたいし、ライブ行きたいし、のんびりしたい。テスト前はなんでこんなにやりたいことが思い浮かぶんだ。



落ち着く。高音がたまらない。

じゃず!

ジャズピアノ始めました。


ビバップが好きだけど、一体いつになったらエッセンスを掴むことができるのかわからん。かっこいいよーバド・パウエルかっこいいよーアル・ヘイグ美しいよーバリーさんすきだよーでもピアノ難しいよー。
好きなフレーズだけでもパパッと使えるようにもっと練習します。最近ピアノ教室に通ってた頃よりもピアノ練習してる時間長い。偉いもんだ。


今一番好きなアルバムはバドのJazz Giant(定番だけど)です。
命をすり減らすようにして演奏するバドのピアノが好き、というか心惹かれる。鬼気迫る切迫した雰囲気に息が詰まりそうになるけど、ある意味でこの上なく人間らしく本質的な感じがして嫌な気持ちにはならない。バラードも泣ける。
こんなふうになりたいとは言わないが、せめて少しでも近づけたらいいな。